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あしあと

妻が遺してくれたもの

先日、妻が亡くなりました。 30代になったばかりで、子供もまだ幼くて、病気と長い間闘ってきて、やりたいこともまだたくさんあったのに、亡くなるというのは、とても寂しいです。

妻は、漫画やイラストを描くことに対して、人生の殆どの情熱を注いできました。 ご両親も、大変丁寧な方で、幼少時代からの絵をたくさん大切に保管されていました。 幼い字で描かれた漫画にも、ポケモンやケモノキャラへの大好きな気持ちが最近と変わらない形で残っています。

小中学校時代は、親しい友達と一緒に漫画(アンソロ)を描き、高校は部活の会誌を描き、その後も大学のサークルや個人HPなどで創作・表現を続けていました。ペンネームのトラ猫も、この頃からずっと使い続けてきた名前です。

10代終盤からは、交流の場がリアルからネットへと移り変わる大転換期をまさに肌で感じることができる、いい時代を過ごせたのではないかなと思います。趣味の方とたくさんのつながりがSNSを通じて出来ていたと思います。私もその一人です。

彼女の描く絵が好きで、みんなに見てもらいたかったので、コミケへ誘って本を出してもらいました。初参加が大変楽しかったようで、それから先は水を得た魚のように、のびのびと、彼女の「好き」が同人誌という形になっていきました。

私もたまにベタトーンのお手伝いや、家事などのサポートをしながら、彼女が創作活動で楽しそうにしている姿を見るのが好きでした。ふたりでイベントに行って、売り子をするときが幸せでした。彼女の描いた漫画は、絶対に面白いし、たくさんの人に見てもらいたい!一人でも多くの人に読んでもらえるように!と、呼びかけをしていました。実際に見本誌を読まれた方が「シリーズ全部ください」と仰ったときは、飛び上がるほど嬉しかったです。

イベントのあとは、ネット上でたくさんの感想をいただき、それを糧に次の作品のことを考えていました。 こだわりが強く、妥協しない性格だったので、本出す以上はストーリーを徹底的に考え抜いて適当な本は出しませんでした。アンソロ主催時は誰よりもページ数を多く描くという彼女なりの筋の通し方がありました。思い返せば大変なこともありましたが、イベント参加するとそれも吹き飛びました。

彼女自身は写真に写ることはあまり好きではなかったのですが、落書きや創作時に考えていたことなどは紙に書いてファイリングしており、彼女の歴史がたくさん残っています。本という、手に取れる形で遺してくれたのは、私にとっても本当に嬉しいです。一生大切にします。

個人HP、(もう退会してアカウントはありませんが)mixi、最近ではTwitterやプライベートの日記でも、その時に何を考えていたのかを読みきれないほどに残してくれました。それを彼女は「察して欲しいとかじゃなくて、あたしが自分のために、考えをまとめるために書いてるだけだから」と口にしていました。勿論その通りなのですが、普段から何を考えているのか、実際に側にいなくてもすぐ隣にいるような思いがして、読むだけで楽しく、ホッとしたものです。

トラ猫としてではなく、プライベートの彼女は、とても頑張り屋で、心配性で、繊細で、人に迷惑をかけたくないという気持ちの強い人でした。 私のだらしのない面を見て、怒って、泣いてくれました。一人の人間としても、尊敬できる人でした。 実家ぐらしが長かったので、家事は得意ではなく、よく料理がうまくできないことを悔しんで涙を流していました。自分の時間を作ってあげたかったので、「できる人がやればいいんだよ」と声をかけて、料理や洗濯はできるだけ私がしていました。計画的で倹約家だったのですが、液晶タブレットや作業用の椅子なども「買ってもいいと思う?」と遠慮しながらも自分の創作のための投資は惜しみませんでした。

子供が生まれる頃からは、新たに母としての責任感を強く感じていて、家事全般を立派にこなしてくれました。その頃の私は、仕事も忙しく、すべてを妻に任せっきりで遅くまで働いていました。父としての自覚も薄く、家に帰っても子供の面倒を見ることよりスマホをいじる毎日でした。 子供が半年の頃、毎日風邪のような症状で、辛くても我慢して子供の世話をしていました。しばらく実家に帰ってもらっていたのですが、白血病になったことがわかる直前には、毎日38度の熱が出て、体が限界でも夜、授乳を頑張っていました。

診断が下ってその日から入院生活が始まり、妻はホッとしたと言っていました。家事や育児から開放されて、「今まで自分が至らなくて出来ていなかったと思っていたけど、自分のせいじゃなくて、病気のせいだったんだね。」と。夫として父として何もできていないことを悔やみました。

治療が始まってから、妻は自分の身体と心のことが最優先でしたので、入院してしばらく経ってからはゲームやアニメ、漫画三昧な生活を送っていました。治療の副作用も辛かったと思いますが、それ以上に自分のやりたいことができる時間が嬉しかったと思います。私達も妻に心配かけまいと、家庭第一に切り替えました。それでも、妻はいつも、私達やお友達の体調について心配していました。

治療中も、妻は絵を描き続けました。動物や、看護師さんが好きなウミウシのイラストを描いて病棟に飾ってもらったり、趣味の絵をたくさん描いていました。長かった治療も一段落して、寛解になって退院するときは、すっかり元気になって安心しました。家族で実家でお世話になりながら、本は描き続け、イベントに一人で参加し、趣味の方ともたくさん交流を持たれて、楽しそうにしていました。しばらくしてから、実家の近くにアパートを借りて、私と子供と家族3人での時間を過ごすことができて、本当に幸せでした。

再発が分かってからも、治療に前向きに取り組み、妻も私達家族も、必ず治ると信じていました。志半ばで旅立ってしまった妻も無念だったと思います。

妻は生前よく、「私も好きなもの描いてるからさ、その本を買ってもらえてお金になるって嬉しいよね。」と、多くの方に長年積み重ねてきた創作に対する愛と努力が認められていることに、いつも感謝と誇りをもっていました。ダウンロード販売の売上が入ると、嬉しそうに話してくれました。

ノベルゲーム(ベスティアーレ)や変身バンクアニメ(獣神変化!)、一次創作の英語版の出版など、これから少しずつですが、新しいことにも挑戦しようとしていたのは、やはり自分の中の「好き」を表したかったその一心からだと思います。 私も、最近は妻の創作の手伝いはしていなかったのですが、これから少しずつ、妻がやり残したことを引き継いでいこうと思います。

多くの方に愛された、自慢の妻です。誇りに思います。妻として、母として、作家として、遺してくれたものがたくさんあります。息子も元気な笑顔いっぱいに育っています。私ができることは、前を向いて、家族の健康と子供の成長を守っていくことです。 本当にありがとう。ずっと愛してます。